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proud じゃぱねせ

proud じゃぱねせ

のんきとのその後2

私はこうして、のんきを含むたくさんの人に見送られて、
1995年の9月に無事にカリフォルニアの地に降り立った。
英会話の教室で契約した通り、最初の1ヶ月をホーム・ステイで過ごした。

そのホーム・ステイ先に、のんきは一週間に最低1回電話くれた。
ホーム・ステイ先のおっかさん、ローズはイタリア系の白人女性。
離婚経験者で女手一つで二人の女の子(当時14歳と17歳)を育てていて、
自身も10歳年下のメキシカンの彼氏を持つ、やり手の不動産ブローカー。
とっても開けていたせいか、
週に最低一回、日本からの留学生にかかって来る英語の電話に、
何の不信も不快感も抱かず、
「ちょっと、アメリカ人の彼氏がいるの?やるじゃない。
どんな人か今度教えてね。」と言って笑っていた。

何回目かの電話でのんきは、
「随分英語が上手になったね。」と感心していた。
感心していたと言うよりは、ちょっと寂しそうに聞えて、思わず、
「何の為に高いお金を出してここまで来たと思ってるのよ。」
と一生懸命笑いに持って行こうとした自分がいた。

彼はよく電話で、
「充実してる?アメリカの言葉や文化を知るのは良い事だと思うけど、
いぶらは『アメリカ人』にならないで。ちゃんと日本人でいて欲しいんだ。」
と言った。
今思うと、とってものんきらしいなと思う。

それ以外に、のんきは毎日手紙をくれた。
日曜日と月曜日以外は毎日1通ずつ届いた。
日曜日は休み、そして毎週月曜日には、日曜日と月曜日の分の2通届いた。
これにはさすがのローズも呆れていて、
私の顔を見る度に、
「今日も来てるわよ、いつものて・が・み。」と私をからかった。

アメリカ留学する日本人の大方の例に漏れず、
最初の試験でいきなり上級クラスに入れられて、
アップ、アップしながらも、楽しく勉強していた。
ある日のんきから電話が掛かってきて、
「僕、もう待っているの嫌だから、そっちに行くよ。」と言われた。
よっぽど寂しいんだろうな、と思って、
「そうこうしているうちに帰るって」と慰めてはみたが、
のんきの返事からは、それが余り効き目がある様には思えなかった。

それから何日たっただろう。
のんきからまた電話があって、その時はまた妙に明るくて元気だった。
「なんか良い事でもあったの?」と聞くと、
「僕、実は転勤願いを出していたんだ。今日正式に決まって、、、
そっちに行くよ。」
はっ?
今なんて?
そんなんで良いの?自分の住む場所や仕事場を変える理由が、そんなんで、、、
嬉しいと言うよりは、正直『目が点』の私だった。



のんきとのその後3に続く


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